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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)11169号 判決 1968年2月22日

原告 栗田啓一郎

被告 国 他二名

代理人 荒井真治 外四名

主文

一、被告亀有信用金庫は原告に対し金二六〇万円およびこれに対する昭和四〇年一二月三〇日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

二、被告株式会社東海銀行は原告に対し金六一〇万円およびこれに対する昭和四〇年五月二五日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

三、被告国は原告に対し金六〇〇万円およびこれに対する昭和四〇年一二月二九日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

四、原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。

五、訴訟費用は被告らの負担となる。

事  実<省略>

理由

一、原告が被告らに対しそれぞれその主張のとおり預金債務を有していたことは当事者間において争いがない。

二、(証拠省略)によれば、原告は貴金属の錆錬販売を業とし、妻子はなく、同業の父栗田三郎、母久子、妹桂子(当時十八才)と同居していたこと、昭和四〇年三月二日午前八時頃関税法違反の疑いで大阪府警の家宅捜索を受けたこと、その際原告はとさつに警察官に隠れて、二階の自室に置いてあつた原告主張の被告らに対する各預貯金通帳や得意先の台帳等を妹桂子に「大事なものだから預つてくれ」と告げて引渡したこと、家宅捜索後原告は父三郎とともに警察官に任意同行して亀有警察署に赴き同日夕刻頃逮捕状を執行されたこと、桂子は警察官が退去した後原告から預つた前記預金通帳等の処理を母久子に相談し、その結果右預金通帳等は警察の追及を虞れて隣家に預けられたこと、翌三月三日三郎の同僚と称する岡島と名乗る男(以下岡島という)が原告宅を訪れ、久子に対し再び警察の手入れがあると困るから大切なものは預つてやる旨述べて三郎の商品である貴金属とともに隣家に預けてあつた原告の前記預貯金通帳を出させてこれを預つたこと、さらに久子に大阪に移送される原告や三郎に差入れや身柄の釈放の手続等をすることをすすめ、そのため預貯金の払戻を受けて一緒に大阪へ行くよう勧めたこと、夫原告と他に別居していた長男とが逮捕され相談相手もなく困惑していた久子は岡島のすすめに従い午前一一時頃同人とともに原告宅を出たこと、その際岡島は久子に前記預貯金通帳の届出印章の提出も求めたが、久子はその所在を知らなかつたので、代りに三郎の実印を持参したことが認められ、右認定に反する証拠はない。右事実をもつてしては未だ原告が久子に前記預金通帳による預金の払戻しについて代理権を与えたと解することはできないし久子に何らかの意味で原告の代理権があつたということもできない。

三、(証拠省略)によれば、岡島と久子は前記三月三日昼頃被告亀有の柴又支店を訪れ被告亀有に対する原告主張の預金通帳二冊を提出して小島三郎名義の預金から金一〇〇万円、高野啓一郎名義の預金から金一六〇万円の払戻しを求めたこと、被告亀有の柴又支店長細谷正雄が届出印の提出がないことを理由に払戻しを拒絶し、保証人一人を立てて改印届をするよう勧めたところ、久子は「自分が原告の母である。原告は父親とともに昨日大阪の警察に逮捕された。原告を助けるためどうしても金が必要だ、届出印章はどぶへ捨ててしまつてない。これからすぐ羽田から大阪へ行くので改印届をする余裕はない。原告の実印を持つて来ている。」旨述べて三郎の実印を示し岡島を知人であると紹介して同人とともに強く払戻しをこん願したこと、細谷は得意先へのあいさつまわりの際久子と面識があつて、同女が原告の母であることを知つており、且つ新聞にも原告の逮捕を裏づける記事があつたことを確認したが、他に久子の払戻し権限のあることや原告を助けるために即日現金の必要な理由についてそれ以上調査することなく、また久子が持参した印章が原告の実印であることも確認しないまま久子に原告の代理権があると信じて前記請求された金員を払戻したことが認められ、証人栗田久子の証言中右認定に反する部分は措信できず、他にこれを左右するに足る証拠はない。

四、(証拠省略)を総合すれば、久子と岡島は被告亀有柴又支店から払戻しを受けた後被告東海銀行小岩支店を訪れ、原告主張の前記被告東海銀行に対する預金通帳を示してうち橋本啓一郎名義の預金から金四五〇万円、小島啓一郎名義の預金から金一六〇万円合計金六一〇万円の支払を求めたこと、被告東海銀行が両名を応接間に招き入れて事情を聞いたところ、久子は、「自分が原告の母親である。原告とその父三郎が昨日大阪府警に逮捕された。ついては保釈金が必要で今日大阪へ飛行機で行かねばならない。届出印章は原告が持つていて所在はわからないが原告の実印は持参している。」旨述べ、岡島を親戚の者であると紹介して同人とともに払戻しを強くこん願したこと、被告東海銀行は得意先まわりの行員によつて久子が原告の母であることを確認し、また新聞にも原告の逮捕を裏づける記事があつたので、久子の払戻し権限や保釈金を今日中に大阪へ持参しなければならない理由をそれ以上追及したり、また久子の持参した印章が原告の実印であるか否かを久子の言以外から確認することもせず、同道した岡島についても久子の親せきの者だという以外に身元を確かめないまま同女を原告の代理人であると信じて届出印章の提出なしで前記請求にかかる金員を払戻したことが認められ、証人栗田久子の証言中右認定に反する部分は措信しないし、他にこれに反する証拠はない。

五、(証拠省略)を総合すれば、久子と岡島は被告東海銀行小岩支店から前記払戻しを受けた後高砂郵便局を訪れ、局長岩崎福治に対して原告主張の貯金通帳を示し「原告と父親が昨日大阪府警に逮捕された。その解決のため金三、五〇〇万円位必要でこれから飛行機で大阪へ持つて行かねばならないから原告の貯金から金六〇〇万円払戻して欲しい。預金通帳は原告から預つたが届出印章は原告が警察に連行される際捨てた。」と述べ、岡島を三郎の兄の子供の栗田義夫であると紹介して同人とともに強く払戻しをこん願したこと、岡島は今銀行からも金をおろして来たと云つて鞄の中から札束を示したこと、岩崎は、久子が原告の母であることを知つており、原告が逮捕されたことを裏づけるテレビのニユースや新聞の記事をみていたので、久子の受領権限や今日中に金三、五〇〇万円必要な理由およびその使途についてより詳しく追及せず、また岡島についても前記久子の紹介以上に身元を尋ねることなく、久子が原告の代理人であると信じて資金の都合上本日は金三〇〇万円の支払ができるが残金三〇〇万円は明日でなければ支払えない旨答え、改印届をするよう指示したこと、そこで久子は郵便局の外に出て「小島」の印章を調達して来て、右印章と久子が持参した三郎の実印である「栗田」の印章を岡島に渡し、同人は右二つの印章を用いて小島三郎名義の改印届、小島三郎代理人栗田義夫名義の払戻し金領収書および小島三郎が栗田義夫に金三〇〇万円の支払いを委任する旨の委任状を作成しこれを岩崎に提出して金三〇〇万円の払戻しを受けたこと、同日久子は以上各払戻を受けた金員をもつて岡島とともに大阪に行つたこと、翌四日一一時頃岡島は再び高砂郵便局に現れ、岩崎に対し「金がまだ足りないので大阪から飛行機で帰つてきた。もう三〇〇万円払戻して欲しい。」旨申入れ、さらに岩崎の問いに「久子は大阪で自分が金をもつてゆくのを待つている。昨日の「栗田」の印章は自分が原告らの身元引受人になるため久子に預けて来たが「小島」の印章は持参した。」と述べたこと、岩崎は岡島が前日久子と同道し、久子から印章を渡されて払戻手続をしたことでもあり、改印届の印章も持参していたので岡島の住所を聞きただした上前日同様の委任状および払戻金受領書を作成させ、請求のあつた金三〇〇万円を同人に払戻したこと、その後岡島は被告らから右払戻した金員を所持したまま行方がわからないことが認められ証人栗田久子の言証中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定に反する証拠はない。

六、ところで配偶者ないし同居の親族といえども、当然には捜査機関に逮捕された者の財産の管理処分につき逮捕された者の代理権を有するとはいえないのであるから、預金者の家族が預金通帳を示して当該預金の払戻しを請求しても、預金債務者たる銀行等は届出印章の提出があるときは格別、払戻請求者に受領権限のあることを何らかの形で確認しなければ有効な払戻しをなし得ない。このことは預金者本人の利益のため緊急に払戻しをなす必要性が顕著に認められる場合でも、受領権限確認の注意義務が若干軽減され得るとはいえ同様にあてはまる。本件各被告の場合、公訴提起前の保釈が現行制度のもとでは許されないことを被告らの各払戻し担当者が知らなかつた点は責められないとしても「原告を助けるために」とか「保釈金として」あるいは「原告を釈放するため」にすぐ払戻しが必要だという前記認定の久子および岡島の説明だけでは原告の利益のため即時払戻しをしなければならない緊急性を認めることができない。しかるに前記認定のとおり被告らはいずれも久子が原告の母であること、原告が逮捕されていることを確認しただけで、他に久子の払戻し金受領権限を確認する手段を講じたり、原告のため緊急に払戻し金が必要である理由を久子に追及することもなさず、さらに被告亀有および同東海銀行においては、久子の持参した印章が原告の実印であることも確認せず、漫然と久子および男某の言を信じて本件各払戻しに応じたのであつて、いずれも払戻し金受領権限確認のための注意義務を尽したとはいえず、被告らには、久子に本件各払戻し金の受領権限があると信じたことにつき過失があつたというべきである。もつとも被告亀有は久子が過去において幾度となく原告を代理して預金の払戻しをなしていたと主張し、証人高橋知江の証言によれば、久子は被告亀有柴又支店から昭和三七年一〇月頃原告の預金約五万円を払戻したことが認められるが、右以外の払戻しについてはこれに沿う証人細谷正雄の証言はたやすく措信できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。そして右約五万円の払戻しについて原告が久子に与えた代理権は当該払戻しに限られるものであつたと解するのが相当であり、また右約五万円の払戻しの事実をもつてしても前記被告亀有の過失の認定を覆すことはできない。

したがつて被告らに前記過失が認められる以上被告らの表見代理人ないし表見使者に対する有効な弁済の主張、債権の準占有者に対する有効な弁済の主張、ならびに被告国の郵便貯金法第二六条による有効弁済の主張はいずれも理由がない。

七、被告亀有は本件払戻しが使者に対するものとして有効であると主張するが、原告が被告亀有に対し本件払戻しを請求する意思の表示を久子に依頼したことを認めるに足る証拠はない。

八、被告国は、原告に本件貯金通帳の保管について注意義務をつくさなかつた過失あると主張するが、前記認定のように原告が桂子に本件貯金通帳の保管を依頼したことをもつて直ちに原告に過失があつたとは解し得ないし、他に原告の過失を認めるべき証拠はない。

九、原告は昭和四〇年五月中旬頃からしばしば被告らに対し原告の前記預金のうちそれぞれ被告らが前記久子ないし岡島に払戻した金員の再払戻しを求めたと主張するが、被告亀有および被告国に関してはこれを認めるに足る証拠はなく、被告東海銀行に関しては証人山本清昭の証言および弁論の全趣旨によれば、原告は弁護士六川常夫代理人として同年五月二四日被告東海銀行に対し同被告が同年三月三日久子に払戻した金員の再払戻しを求めたことが認められ右認定に反する証拠はない。もつとも被告亀有および被告国に対して原告は本訴状によつて前記金員の払戻しを求めたものというべく、本件記録によれば本訴状は被告亀有には昭和四〇年一二月二九日、被告国には同月二八日にそれぞれ送達されたことが明らかである。

一〇、以上のとおり原告の本訴請求は被告らに対し、それぞれその主張の預金の内金を求める部分および右各内金に対する被告亀有については昭和四〇年一二月三〇日から、被告東海銀行については同年五月二五日から、被告国については同年一二月二九日から右支払ずみまで商法所定の年六分の割合による遅延損害金を求める部分は理由があるからこれを認容し、その余の遅延損害金の支払請求は理由がないから棄却することとする。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条但書第九三条を適用し、原告勝訴部分についての仮執行宣言の申立は相当でないものとして却下することとし主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺一雄 宇佐美初男 広田富男)

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